チンパンジーの知恵袋

中国語を学ぶチンパンジーが面白いと感じたことを綴ります

経済をめぐる地政学(1. EPAとは何か?)

 近年、中国関連の情勢がにわかにきな臭くなっているように見えます。2020年の全人代では香港に対する影響力を強化するべく、国家安全法が適用されることが決定されました。同年、対米政策についても強硬化の動きが見られ、成都の米国領事館を閉鎖するよう中国政府が要請する、という異例の事態となりました。

 米国も黙っているわけではなく、中国製のIT製品に対する規制を強化したり追加関税をかけたりと、トランプ政権からバイデン政権に移行しても、両大国の経済競争は緩まる気配がありません。各国の通商戦略には興味があるので、数回に分けてまとめてみようと思います。まずは「関税」の関連として、経済連携協定EPA)について基本的と思われるところについて述べていきます。

 

 2021年度の年末年始。様々なニュースがありましたが、私が一つ関心を持ったのはRCEPの発効でした。RCEP(地域的な包括的経済連携)とは、EPA経済連携協定:economic partnership agreement)の一種であり、ASEAN10ヶ国と豪州、ニュージーランド日中韓の合計15ヶ国により形成されています。概要は、外務省のHPに詳細すぎるほどしっかり書いてありますね。

www.mofa.go.jp

 EPAとは、簡単に述べると貿易や取引を行う際に特定の国家・地域間で結んでいる約束・取り決めのことです。主なメリットとして、約束を結んでいる国家間で合意した物品にかかる関税が引き下げまたは撤廃されるため、企業や農業者が海外に販路を拡大しやすくなったり、消費者が安く海外商品を手にすることができたりします。日本と英国、日本とEUなど2つの国・地域間で結ぶことが多いですが、他国間で結ぶことも可能で、代表例は今回のRCEPや、有名なTPP(今は、アメリカが抜けたのでTPP11と呼ばれます)があります。

 また、EPAは貿易の関税だけでなくサービス貿易(外国企業によるコンサルティングや金融等のサービスに加え、海外渡航者への食事提供といったサービスも含まれます)や海外企業への投資もカバーしているため、第一次産業第二次産業だけでなく第三次産業にとってもメリットがあります。まさに、締結した域内での貿易や人の移動など、一大経済圏を形成することになりますね。EPAについては経済産業省のこちらのHPに詳細な説明があります。

www.meti.go.jp

 話を戻して、日本はこれまでTPPをはじめシンガポールEU等とEPAを結んでいます。日本が初めてEPAを締結したのは今からちょうど20年前、2002年のこと。その時はシンガポールとの協定でした。以降、日本は22の国・地域とのEPAを発効。その中にはASEANEUも入っているので、皆さんが思っていたよりも多くの国かもしれません。例えば特定の国で作られた食品が安く手に入るのも、日本の自動車が海外で価格競争力を持っているのも、EPAが大きく貢献していると言うことができます。

 その中でもRCEPは大きな試みでした。それは、日本の貿易額第1位・3位の中国・韓国と結ぶ初のEPAであるという点です。2012年に交渉が立ち上げられて8年後、2020年の11月に関係首脳(日本からは当時の菅首相)が署名し、交渉が成立しました。多国間の合意と言うと、ニュースでよく見るのは大会議室のようなところで大臣や首脳が意見を交わす光景ですが、実際には(というかその光景が実現されるまでには)経済状況も政治体制も違う国々の政府の人々が、それぞれの国内情勢を鑑み、得意とする産業を伸ばし、守るべき分野が海外産品に駆逐されてしまわないように地道な交渉を続ける「したたかな」世界です。

 何でもかんでも関税が撤廃されれば良いというものではありません。外国産の野菜が現在の半分の値段で大量に国内流通したら、農家の方が廃業してしまうかもしれません。ただでさえ自給率の低い第一次産業が壊滅してしまいます(国民が外国産の野菜を買うかどうかは別問題です)。また、人件費が安い国の工業部品がもっと安く買えるようになったら、それらの部品を買って製品を作る大企業は良いかもしれませんが、国内の中小企業は苦境に陥るかもしれません。一方で、関税が高いままだと付加価値の高い果物やお酒を輸出する事業者は困りますし、国内市場が伸び悩んだ時に販路拡大が望めません。ここが難しいところで、経済というのは人の暮らしに直結しますから、不利なルールを一度結んでしまうと取り返しのつかないことになる可能性もあります。

 以上のことを考慮した際に、妥結しない交渉も多々あるというのはある種当然のことかと思います。例えばRCEPについて言えば、インドは交渉当初からメンバーに入っていましたが、交渉妥結を目前として離脱を表明しました。また、2国間のEPAでも長年交渉中(または交渉凍結)となっているものもあるわけです。

 

 さて、このような難しい交渉を経て、私たちはEPAに署名する首脳や外務大臣の姿がテレビ越しに見られるわけです。しかし、このニュースを見て、これで企業は関税フリーで輸出できるようになる!…と言うのは、実は2つの意味で違っているのです。

 1つ目として、若干わかりづらいですが、条約は署名されたら即効力を持つ、というものではありません。署名はあくまで、条約の趣旨や内容といった基本方針に合意すること。もちろんその時には事務的に内容をしっかり詰めているのですが、条約の効力はまだ生じていません。あくまでエントリーする、という意味合いです。

 署名後に、国家としての最終的な確認、同意プロセスとして「批准」が行われます。日本では、(例外もありますが)国会での承認が必要です。日本国憲法第73条第3号には、内閣の仕事として「条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。」と記載があります。署名してから国会承認を経て批准するまでの一連のプロセスが、条約の「締結」となっています。

 これで終わりではありません。条約が発効していなければ、加盟国が締結してもそのメリットを享受することはできないのです。発効とは文字通り、その条約が効力を発すること。それぞれの条約には、発効のための条件が定められています。一例として、TPP11であれば、署名国のうち6カ国が国内手続(批准)を報告して60日後に発効することとなっていました。また、気候変動の関係で有名な京都議定書(1997)については発効の条件として

(1)55カ国以上の締結(日本の場合、国会承認)

(2)締結した先進国(削減目標をもつ国)の二酸化炭素排出量(1990年度)が全先進国の排出量の55%以上になる

以上2つの条件を満たしてから90日後に発効、という何とも複雑な条件です。。だから1997年の京都議定書が2005年に発効されるまで、7年以上を要しているわけですね。

 今般のRCEPについても複雑で、「少なくとも6のASEAN構成国である署名国及び少なくとも3のASEAN構成国でない署名国が批准書、受諾書又は承認書を寄託者であるASEAN事務局長に寄託した日の後60日で、寄託をしたこれらの署名国について効力を生ずる」こととなっています(詳しくは以下)。長々と書きましたが、発効されていないと企業はEPAのメリットを受けることができない、というわけです。

www.meti.go.jp

 そしてもう一つ。たとえ発効されており、対象国に対して輸出する商品が関税減免対象となっていても、企業がEPAを利用する申請を行わないと、関税はかかり続けてしまうのです…!EPAとは、税関が自動的に輸出品を判別して適用してくれるという「自動値引きサービス」ではなく、輸出品について原産地や加工工程等を証明する書類を提出してはじめて適用される、「会員向け優待券」的な位置付けなんですね。

 国もこのことを問題視しており、輸出企業向けのヘルプデスクやセミナーを設けたり、提出書類の簡略化を図ったりしています。それでも、現実としてEPAの利活用率(EPAを結んでいる国に輸出する事業者のうち、EPAを利用している者の割合)は50%ちょいに留まっています。特に中小企業にとっては、専門知識を持つ人材がいない、または輸出量自体が少ないから申請する方が面倒、など色々と理由があるのですが、EPA締結の交渉は多くの人の汗と涙の結晶、と書いた手前、それが企業に使われないままでいる、という現状は少し悲しいものがありますね。

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 最後に、どこの国とどの順番で、どのタイミングでEPAを結ぶかということには、国としての戦略が色濃く出ているような気がします。例えばTPPは環太平洋の経済圏を形成することで、対中包囲網という意味合いが強かった(米国が抜け、中国も加盟を狙っているので事情が少し変化していますが)ですし、アジアの広い範囲を網羅するRCEPを日本が提唱していた、というのも対外戦略上の重要性によるものでしょう。

 長くなりましたが、EPAとはどのようなものか、何となくでもイメージをつかんでいただけたのであれば幸いです。