1月の中国を思い出す(後編)
「1月の中国を思い出す(前編)」の続きです。
kangaeru-chimpanzee.hatenablog.com
感情と理性の狭間で
1月~2月の間で感情がいかに思考力に影響を与えるかを体感しました。そして、恐怖がいかに視野を狭くするかも学びました。
前編で書いた通り、帰国を決断させたのは、食堂の寂しさです。しかし、冷静に考えてみると、春節でみんな実家に帰ってるのだから、人がいないのは当たり前ですし、天候なんて恒常的なものではありません。言ってしまえば新型コロナがなくても、この光景は発生しえたのです。にもかかわらず、これら本来はコロナとは関係ないことが、コロナへの恐怖心結びついたのです。
脳が恐怖や緊張に囚われると思考が浅くなるんですよね。浙江省の感染者数(まだ数える程度だった)であるとか、ちょっとしたニュースもファクトチェックせずに拡散してしまったり、帰国の準備をしようにも何が必要なのかすぐにまとめられなかったり。
杭州にいる間にパスポートとスマホをなくしかけた経験が生きて(?)ある程度鎮静化できましたが笑。ゴミをしっかり捨てて、量を出ました。
杭州を離れる時、大部分の荷物は置いてきました。なので事態収まり次第、回収or破棄する必要があります。帰国してからも色んな人に「なんで置いてきたの笑」と言われました。
しょうがないじゃない、帰国を決めた時は一時帰国のつもりだったから。1ヶ月程度したら杭州に戻るつもりだったから。もちろんどれだけ長引くかわからない中で、留学がここで中止になるシナリオも想定しました。リスクを小さくするのなら、万が一に備え、できるだけ沢山荷物を持って帰った方がよかったですよね。
でも、軽装で帰国したのは、これで終わりは嫌だ、また戻ってくるという気持ちが強かったからなんですよね。
たかが留学、されど留学
日本に帰国後、新型コロナは中国で拡大し、その後全世界に広がりました。様々な対策がなされ、日本もようやく第1波が収まろうとしています。
完全復帰ではないとはいえ、中国では元の生活に戻り始めてます。友達が上げる写真などを見ながら、なんで自分は日本にいるんだろうなぁなんて思ったりします。「中国で発症したらそれも経験だ!」と寮に残る勇気があったら、また違った世界線を生きていたかもしれませんね。
誰に会うつもりだったんだっけ、どこに行くつもりだったんだっけ、何をするつもりだったんだっけ。あれほど具体的に描いていたのに、なんだかもう像を結ばないのがとても悲しい。近所に出かけるのでさえ、躊躇いが生まれるこの状況で、海の向こうの世界はあまりにも遠い。
杭州を離れたあの日は大きな分岐点の一つでした。
こちらのルートが間違いだ、不幸だとは思いません。留学は途中で終わってしまったものの、半年で沢山のことを学びました。早い段階で帰国したことにより回避できたものありますし、出会えたもの、得た物もあります。
留学に人生をかけてた訳ではないですし、交換留学は目標ではなく、数あるうちの一手段です。「交換留学」を過大に捉えるのはおかしなもんです。また、自分ではどうしようもないと頭ではわかってますし、これもまた「缘分」の一つなのだと理解してます。
それでも、ふとどうしようもなく涙が出てくる時があるんですよね。「悲しさ」なのか「悔しさ」なのか、どこから湧いてくるのか。これが心か..
あの日の自分に助言できる機会が与えられたとしても、「ずっと残った方がいいよ」とは言わないです。こちらのルートはとても充実していて後悔もないからです。残り続ける選択をしていたらどうだったのでしょうね。願わくば残る選択をした自分が選んだことを後悔し、さっさと帰国すればよかったと思うほど苛烈な道であって欲しい。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
次なる目標に向けて頑張ります!