チンパンジーの知恵袋

中国語を学ぶチンパンジーが面白いと感じたことを綴ります

1月の中国を思い出す(前編)

久しぶりの投稿です。

 以前の記事でもちょろっと書いたかもですが、中の人の1人は2019年秋から杭州浙江大学に留学していました。本来であれば今年の7月までの予定だったのですが、憎きコロナのせいで中止になってしまいました。

 今更記事にするのは、なんとなく忘れたくないから。あとは中国の方で徐々に日常が戻ってきてるのを目にして思うところがあったからです。 

忘れられない2つの光景

チャンギ空港の親子

 新型コロナが徐々に中国で話題になってきた1月前半、浙江大学では秋冬学期の試験期間でした。なんだか嫌な感じだな〜と思ってはいたものの「春節で広まらないといいな」くらいの認識で、試験のことと休みの間に何するかしか考えてませんでした。

 1月の3週目。僕は友達とシンガポールに行きました。浙江大学で仲良くなったシンガポールの友達が家に泊めてくれるということで1週間程度の滞在でした。行きの飛行機は非常に「賑やか」でした。イヤホンせずに音楽聞くのはもう慣れてましたが、機内を歩き回る人がいたのはびっくりしましたね。それでもイライラよりも旅行に向かってる高揚感が優ってました。

 雰囲気がガラッと変わったのは1/20。习近平が新型コロナについて重要指示を出してからです。新型コロナへの危機感が一気に高まりました。このウィルスはどれくらい危険なのか?杭州に戻れるのか?日本に帰った方がいいのか?シンガポールにいながら、コロナのことばっかり考えることになりました。

 杭州に戻る日、チャンギ空港についてみると、マスクをしている人が急増してました。僕らの飛行機の搭乗口付近の客はほぼ中国人で、殺気だってる感じでした。

 搭乗の直前、泣いている小さな男の子が目にとまりました。どうやらマスクをするのを嫌がっているようでした。それに対してお父さんは真剣な眼差しで「お願いだからマスクをしてくれ」と語りかけていました。

 大人でさえ不安なのだから子供はもっと不安です。周りの大人もみなマスクをして物々しい雰囲気の中、泣いてしまうのはごく自然です。ですが、未知のウィルスに対して、お父さんもなんとかして子供にマスクをして欲しいのも当然です。

 僕のこれまでの経験では、公共の場で子供に対してあそこまで真剣な親の顔は見たことがありませんでした。今(5月末)でこそ様々なことが明らかになっていますが、当時は何もわからず、僕もただただ不安でした。

 「そうだよね、怖いよね」そう呟いて深呼吸して飛行機に乗ったあの瞬間を今も覚えています。 

食器の音だけがする食堂

 上海の浦东空港では到着後スムーズに出れました。一緒にいた友達は上海に親戚の家があり、一旦そこに逗留するとのことで、杭州には僕一人で戻ることになりました。

 また会おうと友達に告げて高铁に乗りました。上海の高速鉄道駅〜杭州の高铁駅〜浙江大学の最寄り全てにおいて人がほとんどいませんでした。あとで書く通り、春節なので人がいないのはそれほど不自然ではありません。ですが、僕の緊張感はグッと高まりました。

 浙江大学の門から入ろうとすると、「お前はどこから帰ってきた?」と警備員に止められました。事情を話すとどこかに電話。まさか大学に入れないのではと変な汗が出てきました。電話番号などを記録して入ることができました。

 寮に戻った僕に突きつけられていた課題は、日本に一時帰国するべきか?ということでした。1年しかない貴重な時間、日本に帰りたくはありませんでした。寮にずっといれば安全じゃないか?でももし中国で発症したら?重症化したら?

 ウィルス自体は未知であるもののこれから更に拡大※し制限が厳しくなることは予測できたので、仮に日本に帰るのなら近日中だなと考えました。

 ※この時は1月下旬、更に拡大するというのは中国国内を想定してました。

 日本にウィルスを持ち込んでしまうリスクや家族に移してしまうリスクを勘案し、一時は杭州に残るという選択に傾いていました。

 夕食のために一度食堂へ。雨も降ってどんよりした空気は一層心を締め付けます。食堂に着いて、目にした光景が次の写真です。

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寂しい食堂

 ああ、めっちゃ寂しいなと感じました。浙江大学のこの食堂は複数階建てで非常に大きく、アジアで最大級と言う人もいます(本当かは知らない)。そんな大きな食堂も普段であれば学生で賑わっている場所です。飯がうまいかはさておき、個人的には好きな場所でした。ところがあの日は雨の音を背景に食器の音だけが響く寂しい空間でした。

 スマホで情報を調べながら僕も食器の音を響かせます。ちょっと湿った靴が不快で、早く部屋に戻りたいなと思いました。食堂を出てももちろん雨。暗い気持ちは更に沈みました。

 食堂から寮まで歩く中で、これはたまらんなと感じ、翌日帰国することを決めました。

 

日本に帰ってきて気付けば4ヶ月ですが、この2つの光景は今でも鮮明に覚えています。

 

長くなったので、続きは後編へ。

 

kangaeru-chimpanzee.hatenablog.com

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。